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1月22日火曜日快晴

羽生氏共々UNHCRへご出勤です。セキュリティの人達の忙しさの原因は我々のためだとわかったのは帰ってきてからなのです。
山岳地帯北西方向に進路を取る。
途中光景はまぎれもなく津軽の風景。それも40年ほどタイムスリップした商店街の風景なのです。1時間ほど走ると物々しい武装で男達が我々の護衛につく。12人程度であろうか。緊張感が走る。
トライバルエリアへ。各キャンプから移動させられた人達、新しい人達、およそ3万人のキャンプ。涼しい割には日差しがきびしい。遠い山々にはちょっぴり白い雪が。これが水源だという。それにしても川というものを見ることはない、メチャメチャの旱魃(かんばつ)らしい。
UNHCRと書かれたテントが整然と並び、トイレも水も食料もある。しかし利権がらみの銃撃戦がつい先週あったところとは思えない。鹿内さんはご幼少のころのボーイスカウトジャンボリーを思い出したらしい。
結核患者が多いらしい。専門のカルテがあった。かなりの人達が発病している。
ずらーっとキャンプを案内される。医療施設も充実している。お見事UNHCR!何かおかしい。そうだ、医療テントに手洗い消毒の場所がない。これじゃ医師および医療スタッフを介して感染が広がってもおかしくない。羽生氏と話すことしばし。ヒビテン、オスバンがあれば感染症のかなりが予防できるのにと思う。
信じられない話だが、ご当地の医師団は病気については敏感だが消毒については無頓着らしい。アンビリーバブル。
これじゃ大変だね.例えばここに清潔習慣を持ち込んだとしても、またまた医師団との衝突だね。ウーン小生の人生はこの連続なのかな。
帰り際、このキャンプを統治するパキスタン軍の将校と話した。「我々はこのキャンプの管理はうまくやっている。気が付いたところはレポートでも出してくれ」最も苦手とするタイプである。しかも若い。
アブナイアブナイ。ぶっちぎれる寸前なのをぐーっと抑える。
顔の血がスーッと引けるのが判る。年の功ですかな。しかとして終わった。

助けてやりたい、助けてもらいたい。賄賂がほしい、善意が賄賂に消えて欲しくない。助けてやっている

抜けるような空の青さと裏腹にこのキャンプには「生、悲しみ、欲」その他諸々が複雑に交錯していると見た。
小生流のケンカを売っても誰も異存はあるまい。
ただ作戦は密にしなければ。

団長



コトカイキャンプ


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